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マナウス・フリーゾーン - Zona Franca de Manaus

更新: 2018年2月6日 19:12

 マナウス・フリーゾーン(Zona Franca de Manaus - ZFM)は、1957年にクビチェック大統領によって、国家経済開発の一環として地域開発と国家保安の確立を目的とし、1957年6月6日付法令・第3.173号にてマナウス・フリーゾーン(以下、ZFM)を制定、1960年12月の大統領令・第47.757号にてその実施が交付された。 

 しかし、その実施にはさらに数年を要し、1964年3月31日のクーデターで政権を獲得した軍事政府になって就任したカステロ・ブランコ大統領は、1967年2月28日付大統領令288号にてZFMの設定を発令し、同年8月28日付大統領令・第61.244号にて実施規則の発令を行い、マナウス・フリーゾーン監督局(Superintendência da Zona Franca de Manaus – SUFRAMA)を設立した。

 1880年代より1915年にかけて、アゾナス州は、天然ゴムの生産地として繁栄を極め、20世紀初頭のブラジル経済を支えていたが、1910年代に至り、英国に持ち出されたゴムの種子が、東南アジアにおいてプランテーションされ、高品質かつ低コストでのゴム採取に成功すると、アマゾナスのゴム産業は凋落の一途をたどる。 しかし、1890年代より1910年代までの隆盛期の加速度は、20年代までアマゾナス州の経済を支えて行くこととなる。

 1934年、アマゾナス州とパラ州境のパリンチンスに入植した日本人移民は、ジュート麻の栽培に成功し州の糊口を繋ぐ。 40年に日本が米英と戦いの火蓋を切ると、再びゴム景気が訪れる。 日本軍は東南アジアへいち早く進軍、ゴム生産地帯を占領すると、連合国側は戦略物資ゴムの供給を絶たれてしまう。 当時のルーズベルト米国大統領は、アマゾンゴムの再生産プロジェクトを策定、アマゾナス州へ多大な補助金を与えて計画の実現を図った。 ブラジル側では折からの旱魃で職を失った東北ブラジル セアラー州の難民約3万人をアマゾンの密林に”ゴムの戦士”と称して送り込んだ。 しかし、所詮はゴム採集経験皆無の人海戦術は初期の計画とはほど遠い結果に終わり、欧州に送られた兵士の死者数を遥かに上回った。

 1945年第二次世界大戦が終結し、この第二次ゴム景気も終止符が打たれる。 マナウス地域の過疎化の進行と衰退に苦慮した連邦政府は、1957年6月6日法令第3173号にて、ZFMを制定する。 この制度は輸入製品をマナウス域内のみで販売した時に、税制恩典が付与されるのみで、結局20万人足らずの市場では何等の実質的効果は得られなかった。

 1963年軍事政権が発足、高インフレと外貨準備高不足を是正するため、輸入の制限を厳しく施行した。 こうしてZFMは、①輸入代替品の製造、②国家防衛、③地域開発の任務をもって発足した。 しかし、アマゾナス州マナウス市と、ブラジル中央の市場との間には広大なジャングル地帯が広がり、河川輸送で河口のベレン港まで1600km、更に陸路で3000kmの距離を輸送しなければならず、工業製品の搬出には大きなハンディキャップとなる。 政府はそれをカバーするための税制恩典を発令し、国内外からの工業誘致を開始した。

その税制恩典とは、

【連邦政府税】

SUFRAMA (Superintendência da Zona Franca de Manaus マナウスフリーゾーン監督庁)でプロジェクトの認可を受けた企業に対して:

輸入税 (II – Imposto de Importação) - ZFMで消費または工業生産に使われる部品、原材料、機械、設備等は免税。 ZFM域外へ工業製品を出荷する時には、使用した輸入部品(原材料)にかかる所定の輸入税の88%が控除される。

工業製品税 (IPI-Imposto de Produto Industrial) - 免税

SUDAM (Superintendência do Desenvolvimento da Amazônia アマゾナス開発局の認可を受けた企業に対して

法人所得税 (IRPJ-Imposto de Renda Pessoa Jurídica) - 10年間100%控除(現行は75%

但し、控除金額は、資本への取り込み、又は赤字補填に向けられることが義務化されている。

【州政府税】

SEPLAM/AM (Secretaria de Estado de Planejamento e Desenvolvimento Econômico do Amazonas  アマゾナス州経済企画局)でプロジェクトの認可を受けた企業に対して:

商品サービス流通税 (ICMS-Imposto de Circulação de Mercadoria e Serviço) - 製品カテゴリにより55%から100%の還付

 上記4本柱の税制恩典を基本に、1968年には工場の進出が始まった。 ちなみに、当時のZFM域外での家電製品、オートバイ、時計(当時”贅沢品”と呼ばれた)輸入税、工業製品税は、それぞれ100%以上であった。 そして2007年、40周年を祝ったZFMは、年間230億ドルを売り上げる200万都市に変貌した。 南米における地方開発計画では最も大きな成功例である。

 ZFMの成功は、日本企業の活躍を無くして語れない。 ZFM発足早々、1971年にシャープが進出、73年にサンヨー、76年にホンダ、そして77年には家電メーカーのセンプ社に東芝が出資、技術提供を骨子にセンプ東芝が生産を開始した。

 1970年代は、前半は”ブラジルの奇跡”といわれる経済成長を誇るが、後半に入ると外貨準備高不足のため、76年よりZFMも輸入外貨の規制枠が発令された。 この時期ZFMの将来への見通しは未だ混沌とした時代で、果敢に進出を果した当時の日本工業の前向きな”進出意欲”には多大な評価を受けている。 1980年代に入ると、パナソニック、ソニー、ムラタ、オムロン、ヤマハ、メタルフィーノ、ショーワ等々、進出が続いた。 

 日本企業の活躍に加え、各国の多国籍企業の活躍もまた顕著である。 欧州勢では、フィリイップス社が1970年初頭に進出。 ドイツのシーメンス、フランスよりBIC、電子部品のトムソン等、特に携帯電話のノキア(現マイクロソフト)が進出した。 

 アメリカ勢は、コカコーラ、ペプシコーラ、剃刀のジレット、ハーレーダビットソン、P&G等。 

 アジア勢の進出もまた顕著である。 韓国のLG及びサムスン電気。  電気電子部門では下請け製造業の進出が著しく、台湾の大手下請け製造業者、鴻海Foxcon社は米国経由の投資で進出、電子基盤の組み立てのみならず、家電製品、カメラ等の”下請け会社”として業績を伸ばす。 米国のJabil社もこの分野で成長を遂げた。

 ZFMの制度は、当初30年間の1997年までと定められて発足したが、1988年の憲法改定で2013年まで延長され、さらに2003年末に公示された憲法補則第42‐03号によりZFMの税制恩典は、さらに2023年まで延長された。 また2014年の憲法改定法でさらに50年延長され、税制恩典は2073年までとなる。 

 ZFMの中でも工業地域は マナウス工業極 - PIM(Polo Industrial de Manaus)と呼ばれている。

 2014年当時、日系企業だけで、PIMの雇用の25%、売り上げ高でも同様に25%を占め、SUFRAMAに登録され州内外で恩典を授与し企業活動をしている企業の数は600社を超え、直接雇用12万人、間接雇用28万人、合わせて40万人の雇用を生みだしていたが、2017年3月現在、50周年を迎えたZFMはブラジル経済の低迷により直接雇用で8万5千人、SUFRAMAに登録されている企業は500社を割り、日系企業の売り上げ高で16%、直接雇用で19%となった。 

〈参考資料〉

SUFRAMA資料

山岸コンサルタント資料